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劇団史

第二十二回『武生、十代の頃』

2015.04.27 公開

座長の口上のときにヤジを飛ばしてきた酔っぱらった客を相手にケンカをしてしまい公演が出来なくなることもあった。

中学生時代は野球に打ち込み、その傍ら音楽も好きであった武生は学校に音楽部がなかったので自分で音楽部を作って活動していた。
暖かい季節に野球をして、寒い時期が来ると音楽や演劇部を作って芝居をやるという活発な少年だった。
その反面で父親の職業柄、映画館の出入りが自由であったので映画をかなりの本数を観ていた。大の映画好きでもあり、この素質が後の座長時代の16歳頃のこと、旅公演先で劇団の若い衆に混じって武生も町回りをすることになった。町回りとは今でいう街頭宣伝である。
劇団の幹部や女優達もいる、そんな中で一番下っ端で太鼓の叩き方もその場で初めて教わった。しかし打ち上げのタイミングが分からず間違えていた、そのことで小屋主に注意され、まだ生意気な盛りであった武生は小屋主とケンカになってしまう。

そのあと父に連れられ小屋主のところへ謝りに連れて行かれた。
劇団を辞める覚悟で会いに行ったが、小屋主から「俺を殴るなんて、なかなか末見どころがある。将来、いい座長になるぞ。」と言われた。
舞台の上でも、小屋主が大切にしていた大張りを倒して壊してしまう。
座長の口上のときにヤジを飛ばしてきた酔っぱらった客を相手にケンカをしてしまい公演が出来なくなることもあった。
武生を舞台から下ろすとき、座長である父親から「役者は舞台が肝心、お客の言うことを気にするな。中には感激する人もいれば、酒を飲んで芝居を観る気がないが木戸銭を払って勝手なことを言うお客もいる。俺が黙っているのにお前がやる、お前は役者だぞ。」と説教を受け、道具化係に回された。
短気な性格が災いすることも屢々あったが、こういったひとつひとつも経験として積み重ねていったのである。

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