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劇団史

第十一回『武生、二代目座長となる』

2013.08.19 公開

清は東京公演に限って、武生を座長に据えることを許した。

昭和三十六年、大衆演劇のメッカとされていた浅草の吉景館から一座に声がかかった。一流と認められた劇団しか出演できない名門劇場である。
劇団をスカウトに来た東京大衆演劇協会の会長が、「これを機会に、いっそ武生さんを二代目座長にしてみては?」と父であり座長であった清に持ちかけた。
万事がスピーディーな東京では、若い感覚を持った武生の方が受けるのではとのアドバイスであった。

武生は二十三歳になっていた。思えば清が座長になったのも同じくらいの歳であった、不安もあるが武生は今や立派に一座の看板となっている。清は東京公演に限って、武生を座長に据えることを許した。
実はその五年前にも一座は東京で公演をしていた。東京の一流どころに負けない芝居を見せてやると、代表的な演目を次々とぶつけた。
“これほど中身の濃い芝居は東京でも滅多にない”と、お客は満足して帰っていく。
しかし、客足が一向に伸びない。武生は、休みの日に大当たりしているという劇団の舞台を見に行くことにした。

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