大衆演劇劇団史大衆演劇

劇団史

第六回『大衆演劇の成り立ち』

2012.11.19 公開

より安く、より面白く楽しもうと生まれてきたのが、大衆演劇ドサ回りの芝居集団だった。

もともと日本の芝居は、出雲のお国の歌舞伎がその始まりという説があり、江戸時代から大衆演劇として盛んになっていった。
ところが明治に入り鎖国がとかれて外国との付き合いが始まると、日本の演劇として紹介できるものとして歌舞伎が取り上げられたため、世襲制度、格式などが重く見られるようになり木戸銭が高くなってしまい歌舞伎は大衆のものではなくなっていった。
そこで、より安く、より面白く楽しもうと生まれてきたのが、大衆演劇ドサ回りの芝居集団だった。

ドサ回りの語源をご存知だろうか。
三つの説があり、一つは昔、佐渡島に流人が流されたことがあるところから、サドを逆さにしたドサ。流れ流れてそういう遠い所まで公演に行ったという意味かもしれない。二つ目は、立派な小屋などなくて土砂の上に筵を敷いて見たところから、その土砂がなまってドサとなったという説。そして、東北弁の語尾につく「どさあ・・・」のドサをもじって、雪深い田舎の方まで行く芝居だからという意味という説。
どの意味であっても、ドサ回りという言葉の響きのは暗くて重たいものを感じてしまう。
長男の武生は、大衆演劇の中からこのドサのイメージを払いたいと思っていたが、他の大衆劇団の中には「ドサ回りという言葉に誇りを持っている」という人もいる。武生も生まれてきた事情を考えると、ドサという言葉を嫌うことはできなかったのではないだろうか。

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