大衆演劇劇団史大衆演劇

劇団史

第十七回『母龍千代から武生へ〜座長修行』

2014.07.21 公開

「俺は家族と一緒に暮らせないような役者には絶対にならない」と、言っていたという。

武生は、賑やかな楽屋で暮らすと福島に帰るのが辛くなると言って中学を卒業するまで一度も劇団には戻らなかった。
劇団が福島で公演のあるときには一ヶ月程は楽屋に行けば親兄弟、座員たち懐かしい面々がいる。しかしまた次の講演先へ行ってしまう、その別れの切なさに武生は押し潰されそうだった。
そんなこともあり、「俺は家族と一緒に暮らせないような役者には絶対にならない」と、言っていたという。

しかし、武生は中学を卒業して劇団に戻って来た。父の芝居を見てあとを継ごうと思ったらしい。帰って来たばかりの頃はおとなしかった、座員となった以上は子供扱いもされず他の新入り座員と同じあつかいである。それが武生を奮い立たせたのかいつも芝居を見る目は真剣そのものであった。
いずれ座長を継ぐ者として厳しい修行を積んでいくことになる。初めから役者としては舞台にかかわらせてはもらえない、照明や音響などいろいろある裏方の仕事を全部覚えてからようやく役者修行を始めることができた。照明や音響をやりながら四六時中舞台を喰いつくように見ていたので自然と芝居とはどのようなものか勉強になったに違いない。

このエントリーをはてなブックマークに追加