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劇団史

第十六回『母龍千代から武生へ〜子別れ』

2014.05.26 公開

学校だけは出しておかなければならないと考え、小学校に上がる歳になると子供達は涙を呑んで福島の母に預けることにした。

旅芸人というのは世帯臭くなってしまうといろいろとわずらわしいので子供が生まれるとすぐに人に預ける人が多い。しかし龍千代は我が子を人に預け育ててもらおうとは思わなかった、過酷な戦時下でもあちこち子供を連れ歩いた。
ところが、他の劇団で脚本が読めなくて苦労している役者が何人もいることを聞くと、そんな苦労を子供にはかけたくないと思い学校だけは出しておかなければならないと考え、小学校に上がる歳になると子供達は涙を呑んで福島の母に預けることにした。
預けるといっても子供達にとってはおばあちゃんの家だと自分を納得させていたものの、長男であり初めての子別れであった武生の時は一番辛かった。

離れて暮らすと心配で不憫さが先に立って、こちらがどんなに不自由してもたっぷり仕送りしたうえ、なにかにつけて小包なども送ったりもした。
時には堪らなくなって長距離電話をかけたりもした、当時の長距離電話は申し込んでからつながるまで時間がかかるので、芝居が始まってからつながったりということもしばしば、一声でも元気な声が聞ければそれでよかった。
しかし、親の心子知らずというのか、「母ちゃんのことなんぞ親と感じたことがなかった。」と武生などが何かで言っているのを聞くと、わかってもらえていなかったのだと淋しく思っていたという。

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