大衆演劇劇団史大衆演劇

劇団史

第十五回『武生が切り開いた大衆演劇の新天地』

2014.03.31 公開

「面白かったよ」と言ってくれる客はまた戻って来てくれる。

切狂言のような泣きの芝居で舞台が終わると客の反応が重い、「これはいい芝居だ」と言われてしまうと、もう観に来なくなってしまう。「面白かったよ」と言ってくれる客はまた戻って来てくれる。
武生が座長になってから舞台の構成も大きく変わる、泣きの芝居の切狂言を真ん中に、舞踏ショーを最後にした。楽団をやって、役者が歌も歌う、一番最後は綺麗な着物を着て舞台に全員で出て豪華に舞台を締めくくる。そうするとどうだろう。いい雰囲気で客が劇場から出てくる、綺麗なものを見たと気持ちが高揚し皆家路に就いていった、反応は上々である。
「あぁ、明日も勝てるぞ」と、武生は思ったという。今では芝居、歌謡ショー、芝居、舞踏ショーという武生の考えた構成は大衆演劇の定番になっている。また、芝居の内容を新しくして時代に合わせたテンポ感を出すために、武生は歌舞伎と洋画を参考にした。歌舞伎は日本の演劇の原点であり学ぶことが多い、洋画は現代的なセンスを磨くのに最適であった。

様々な改革を成し遂げ、大衆演劇の新しい世界を開いた武生であったが、結局のところ大衆演劇の極地とは次の三つに絞れるという。
第一に“泣きと笑い”
第二に“美しさと豪華さ”
第三に“変わり身の早さ”
つまり、長谷川一夫の美しさ、藤山寛美の洒落たおかしさと涙、市川猿之助の豪華さと変わり身の早さである。このどれか一つでも欠けてはいけない。
新しい演劇のかたちを示した武生を父清は座長として認め正式に一座を譲り、梅沢劇団は二代目武生座長の時代となったのである。

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