私は日本舞踊や大衆演劇が大好きな高校二年生です。
小さい頃から日本の文化にとても興味を持っていました。
昔から梅沢富美男さんにすごく憧れています。
残念ながらまだ舞台を見に行った事はないのですが、
いつもテレビでのご活躍を拝見しております。
親戚の方が新日本舞踊の先生というのもあって、
舞踊や劇団の舞台も幼い頃から見てきました。
中学生の頃本格的に私も踊りを習いたいと思うようになりました。
でも両親に高校に入ってからにしなさいと反対され
その時は断念しました。
『県立高校に入ったらやっても良い』との条件だったので
頑張って勉強して無事に県立高校に入学出来ました。
そしていろいろとありまして、
やっと去年の夏から親戚の方から新日本舞踊を習えるようになりました。
今は踊りのお稽古に励んでいます。
私が今悩んでいる事はこれからの進路です。
私は中学生の頃から日本舞踊を使ったお仕事がしたいと考えていました。
将来は舞台で活躍できるようになれたらと思っています。
最近ではお稽古だけではなく、自分で舞踊について
勉強するようになりました。
でも、私は代々舞踊家や劇団の家に生まれたわけではないし、
小さい頃から舞台に立つための訓練をしてきたわけではありません。
やはり、小さい頃からそのような環境にいないと、
舞踊や大衆演劇の劇団に入門しても舞台に立つ事は難しいのでしょうか?
またどのようにしたら、そのような劇団に入門する事ができるのでしょうか?
高校卒業を目前にして、普通に進学の道を選ぶのか、
大好きな舞踊を使った道をえらぶのか真剣に悩んでいます。
劇団に入門できたとしても、その道がとても厳しい事、
梅沢さんのように活躍できる人は
ほんのひとにぎりである事はわかっています。
でもやっぱりあきらめきれないです。
そのために今どうしたらいいのか分からないし、
私の年ではもう遅いのか、もし失敗してしまったらなどと
不安に思っています。
梅沢富美男さんに相談したいと思い、今回投稿させて頂きました。
よろしくお願いします。
まぁ、いろんなことをたくさんやってて。スーッ。
で、その道で頑張っていきたい!
って、うん。
とってもいいことだと思いますよ、うん。
だたね、一つだけ言えることは、
一つのことでご飯を食べられるようになるってのは
大変なことだからね。
だって、シーッ、
この芸能界の中で、こういうお仕事をやっていて、
10年も20年も同じように第一線でやれるっていう人は、
ほんとに何十万人に一人、何万人に一人っちゅうな世界だよね。
で、まっ、実力があったからって、
それで花が咲くのか?うん。それもどうかなぁ。
じゃあ、実力がない人はどうすんだ。うん。
それは駄目だと思うよ。
でも実力があっても、やっぱりその運があって、
またきっかけがあって、そういうものがこう全部集まって
初めて世に出るもんなんだよ。ねぇ。
梅沢さんもね。
役者なんかなりたくないって思ってさ、貧乏だったしね、家族が。
だから役者なんかなりたくないなと思いながらも、
なんか自然に、やっぱり
「蛙の子は蛙」
ってなことになんのかな。
まぁ舞台のほうに出てって、そんで
15年間全然売れなかったからね、梅沢さんも。
まっ、その間、一生懸命努力はしたよ。
でもね、中途半端で自分が、スーッ、
踊りの道を進みたいんだって思ってたら、
やめたほうがいい。
「進むんだ!」
って決めたんだったら、
どんな辛いことがあろうとも頑張ったらいいな。
で、シーッ、大衆演劇っていうかなぁ。
こういう名前がついたなぁ梅沢さんが売れてからなんだと思うんだ。うん。
まぁ、地方にいる劇団、また地方を回っている劇団、
たくさんあると思うんだ。
で、そこに入って満足できるかな?うん。
それが疑問!?だな。
踊りで、なんとか頑張っていきたいんだっていうんだったら。
うん。やっぱり、そういうちゃんとしたところに入らないと
道は開けないと思うな。
まだ17歳だし、夢も希望もある年代だから、
だから梅沢さんもなんとかねぇ、
なんか夢のあるようなお話をしてあげたいけれども・・・。
なかなか
「一つのものでご飯食べる」
ってなぁ大変なことだからね。
だから中途半端だけはやめてちょうだい。
いいね?
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梅沢富美男
1950年11月9日生まれ。福島県福島市出身。「梅沢富美男劇団」座長。大衆演劇隆盛期に活躍した花形役者の父・梅沢清と娘歌舞伎出身の母・竹沢龍千代の5男(8人兄弟の5男)として誕生。1歳7ヶ月で初舞台を踏み、15歳から兄・武生が座長を務める「梅沢武生劇団」で本格的に舞台に立つ。その後、20代半ばで舞踊ショーの女形が話題となり、一躍大衆演劇界のスターに。2012年、兄・武生から劇団を引き継ぎ、座長に。舞台では二枚目から三枚目、艶やかな女形まで幅広い役をこなし、脚本・演出・振付も手がける。そのほか、テレビドラマや映画などにも俳優として多数出演。
梅沢富美男
「下町の玉三郎」とも呼ばれ、梅沢富美男の代名詞ともいえる女形。普段の強面からは想像もつかないほど、妖艶な美しさを 醸し出すその姿が生まれるきっかけとなったのは、富美男が役者として伸び悩んでいた26歳の頃。「お前、女形をやってみないか?」という兄・武生からの提案がきっかけであった。突然の話にさっぱり理解できなかったが、座長の命令には背くことができない。仕方なく、「女性の観察・研究」を始めた。銭湯から出てくる湯上がりの女性を観察している時に不審者と間違われて警察に連行されたのは有名な話。さらに、母・龍千代から、色香漂う舞や仕草を徹底的に叩き込まれたという。メイクによる変貌ぶりだけでなく、立ち振る舞いや所作の美しさこそが、梅沢富美男演じる女形の真髄といえる。
梅沢富美男
大衆演劇のスターとなった梅沢富美男が歌の世界に飛び込んだのは、1982年のこと。小椋佳作詞・作曲による『夢芝居』が、大ヒット。3万枚売れればヒット曲といわれた時代にあって、48万枚のセールスを記録。1983年には同曲で『第34回紅白歌合戦』に出場し、一躍歌謡界のトップスターの仲間入りを果たす。その低音ボイスは、艶やかな女形姿とは一転、男の色香を発する。2012年にリリースされたNHK東日本大震災復興応援ソング『花は咲く』(花は咲くプロジェクト)にボーカルとして参加。
梅沢富美男
近年、テレビのバラエティ番組やワイドショーのコメンテーターとしても活躍。歯に衣着せぬ毒舌トークと曲がった事を嫌う 頑固オヤジキャラクターは、すっかりお茶の間にも定着。義理人情を大事にする一本気な性格が、ときに行き過ぎてしまうこともあり、ネットで炎上することもしばしば…。
梅沢富美男
芸能人の中でも、料理の腕は折紙付き。若いころに劇団の料理番を務め、寿司屋で修行したこともある。テレビなどで料理を披露するようになり、その腕前が話題に。テレビ朝日『愛のエプロン』のグランドチャンピオン決定戦では優勝を果たす。和食から洋食、中華、イタリアンまで、あらゆる料理のレシピが頭に入っており、ある材料だけを使って手早く料理するのも大の得意。地方公演などで時間ができると、気になったお店に飛び込み、板前やシェフに食材・作り方を取材し、料理レパートリーを増やしているという。