夢がみつかりません。
夢は何?と聞かれるのがつらいです。特技もないし、自分で言うのもなんですが、とても平凡な親に育てられた平凡な人間です。輝く人を見ると羨ましくて自分がちっぽけに感じます。
梅沢さんは芸能人ですし自分に自信がおありだと思いますが、どうすれば自信をつけられるのでしょうか?
<音声は返答の一部をアップしています>
まず一つ、二つ、間違っているから言わせてもらうよ。「夢が見つかりません」って、夢がねんだろ?じゃあ見つからないよ。夢ってなぁさ、シッ。
何かをやろう。
何かをしたい。
こうなりたい。
そう思っているから夢を追いかけるんだろ?夢がない者は夢なんて追いかけられないよ。それからもう一つ。
「とっても平凡な親に育てられた平凡な人間です」って何言ってんだよ、どのお父さんが平凡で、どの親が平凡じゃないんだよ。馬鹿なこと考えちゃだめだよ!大きな間違いだ。お父さん、お母さんってのは本当に「何もないように育てたい」って、これ誰しも希望なんだから。
梅沢さんだって役者の親から産まれたんだよ。旅役者だったからね、梅沢さんのお父さんもお母さんも。その親だって、いいかい?梅沢さんが6歳のときに、「義務教育だけは受けて欲しい」って、お父さんとお母さんと別れて福島に行ったんだよ。
考えてごらん?6歳だよ!まだ父ちゃん、母ちゃんって言って泣く年だわね。でも学校行かなきゃ・・・。フッと振り向くと、お父さんもお母さんもいねぇんだよ。おばあちゃんしかいないんだよ。どんなに淋しかったか。
親だって寂しかったんだと思うよ、子供騙して。でも親は「子供にちゃんと育って欲しい」って思うから、そこは鬼になって福島県にやらせたんだと思う。だから、いけませんよ。平凡な親なんて言ったら、ねっ?!
あんた、なんにもなく育っただけでもラッキーだと思いな。今、世の中でいっぱい事件や事故がいっぱいあるじゃねぇか?!それにも遭遇しなくて、20歳までなんにもなかったら最高じゃねぇかよ、んっ?!
じゃあ、どうすりゃいいか。何か夢を持ちなよ、逆に。夢がない者は夢を追いかけられねぇんだから、何か夢を持ちな。「素敵な男性と会って結婚したいな」いいじゃないの?!それも夢だよ。
芸能人だから夢がある!ない!そんなことはないからね。だから、何か思いついたことがあるんだったらそれに向かいなさい。
いいね?!
親の責任じゃありませんよ。
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梅沢富美男
1950年11月9日生まれ。福島県福島市出身。「梅沢富美男劇団」座長。大衆演劇隆盛期に活躍した花形役者の父・梅沢清と娘歌舞伎出身の母・竹沢龍千代の5男(8人兄弟の5男)として誕生。1歳7ヶ月で初舞台を踏み、15歳から兄・武生が座長を務める「梅沢武生劇団」で本格的に舞台に立つ。その後、20代半ばで舞踊ショーの女形が話題となり、一躍大衆演劇界のスターに。2012年、兄・武生から劇団を引き継ぎ、座長に。舞台では二枚目から三枚目、艶やかな女形まで幅広い役をこなし、脚本・演出・振付も手がける。そのほか、テレビドラマや映画などにも俳優として多数出演。
梅沢富美男
「下町の玉三郎」とも呼ばれ、梅沢富美男の代名詞ともいえる女形。普段の強面からは想像もつかないほど、妖艶な美しさを 醸し出すその姿が生まれるきっかけとなったのは、富美男が役者として伸び悩んでいた26歳の頃。「お前、女形をやってみないか?」という兄・武生からの提案がきっかけであった。突然の話にさっぱり理解できなかったが、座長の命令には背くことができない。仕方なく、「女性の観察・研究」を始めた。銭湯から出てくる湯上がりの女性を観察している時に不審者と間違われて警察に連行されたのは有名な話。さらに、母・龍千代から、色香漂う舞や仕草を徹底的に叩き込まれたという。メイクによる変貌ぶりだけでなく、立ち振る舞いや所作の美しさこそが、梅沢富美男演じる女形の真髄といえる。
梅沢富美男
大衆演劇のスターとなった梅沢富美男が歌の世界に飛び込んだのは、1982年のこと。小椋佳作詞・作曲による『夢芝居』が、大ヒット。3万枚売れればヒット曲といわれた時代にあって、48万枚のセールスを記録。1983年には同曲で『第34回紅白歌合戦』に出場し、一躍歌謡界のトップスターの仲間入りを果たす。その低音ボイスは、艶やかな女形姿とは一転、男の色香を発する。2012年にリリースされたNHK東日本大震災復興応援ソング『花は咲く』(花は咲くプロジェクト)にボーカルとして参加。
梅沢富美男
近年、テレビのバラエティ番組やワイドショーのコメンテーターとしても活躍。歯に衣着せぬ毒舌トークと曲がった事を嫌う 頑固オヤジキャラクターは、すっかりお茶の間にも定着。義理人情を大事にする一本気な性格が、ときに行き過ぎてしまうこともあり、ネットで炎上することもしばしば…。
梅沢富美男
芸能人の中でも、料理の腕は折紙付き。若いころに劇団の料理番を務め、寿司屋で修行したこともある。テレビなどで料理を披露するようになり、その腕前が話題に。テレビ朝日『愛のエプロン』のグランドチャンピオン決定戦では優勝を果たす。和食から洋食、中華、イタリアンまで、あらゆる料理のレシピが頭に入っており、ある材料だけを使って手早く料理するのも大の得意。地方公演などで時間ができると、気になったお店に飛び込み、板前やシェフに食材・作り方を取材し、料理レパートリーを増やしているという。