梅沢さんのご活躍、TV等で拝見させていただいております。心の底から感心させられることが多く、人生のお手本とさせていただいております。(勝手にですが・・・笑)
実は先日、主人のお祖母さまがお亡くなりになり、東京から和歌山に行って参りました。その時にお義母さまから聞いていたニートのような方(女性36歳)にお会いしました。
その女性は数年前に父親が他界してしまい、母親は「パーキンソン病」になってしまっているそうで、お義母さまが1ヶ月に2〜3回泊りがけで行って外に連れ出したり、話し相手になっていたりするそうなのですが働くこともせずに毎日「TVドラマ」を録画して見ているそうです。
主人にもお義母さまにもどうにかならない?と言われておりました。実際に会ってみると容姿は癖っ毛で髪はぼさぼさ、何日かお風呂に入っていないのか近くに行くとちょっと臭う。そのほかは可愛くないということはないんですよ。
でも、彼女は中学生の時に「いじめ」にあってから人が嫌いになってしまったようなのです。主人とは小さい時に遊んだ記憶があるらしく、TVの話とかしてましたが、私が会話に何気に入るとグッと睨むように見てきます。女性(同年代)が嫌なのでしょうね(笑)
そこで主人が「コンタクトにしたらええやん」と言ったら「まつ毛がよう抜けるから嫌やねん」・・・でも実際は1日一緒に居ましたが、まつ毛が抜けて痛い!なんてことは無かったんです(笑)ようはしたくないってことなんですが、自分を変えるってことが一番の自信に繋がると思うのですが本人は受け入れません。 じゃあ、放っておけば?と言われるかも知れませんが同じ世代として人生もったいないと思うんです。そしてお義母さまが亡くなられて一人になってしまったりしたらこの人は本当に一人で寂しい人生を送るような気がしてなりません。
どうにかして社会人として働き、女性として身だしなみを気にするような環境をつくってあげられたら・・・と思っているんです。どう導いていって上げたらよいでしょうか?
<音声は返答の一部をアップしています>
なかなか難しいよなぁ、うーん。
36歳にもなってさ・・・働く気もなく、ブラブラブラブラ、ブラブラブラブラしてるもんなぁ。もう、無理なんじゃないの?うん。
いやー、働くってのはさ「どんな仕事でもいいから働きます!」ってんだったら、いっくらでもあるよ!ほんっとに。あぁ、今、スーっ そうだねぁ。60のじじぃ、ばばぁ一生懸命働いてるよ、おお。いーくらでもあるよ働くとこなんて。
ただ自分がそんな仕事したくないから働く場がないなんて気取ったことを言っているけどね。36になって、どこにもあんた行かねぇで家の中ブラブラブラブラしてさ、テレビドラマを見て楽しんでる、そんな子いくら言ったってきかねぇんじゃねぇかなぁ。
ただね、一つ救えるのは旦那さんとほら、仲がいいって書いてあるからさ。だから逆にどうだい、同性から言われると腹が立つんだよ。そりゃ、男もそういうとこあるよ、うん。男の人に言われてカッとくるけども、女の子に言われると、あー、そうかなって。ちょっと、シーっ ここ直さなきゃいかんかなって気になるね。
だから逆にどうだろう、旦那さんにさぁ・・・「可愛いんだから、素敵なんだからさ。もっと自分を磨いたら。そしたらもっといいことがたくさんあるから」ってなことをね。旦那さんにどんどん、どんどん言ってもらうんだよ。そしたらきっと見つめ直すんじゃないかなぁ。
とうん。でないとこの人はダメかもしんない・・・うん。よそに仕事行かせたってきっと2〜3日もすりゃあ三日坊主って言葉もあるけどさ、辞めてきちゃうんじゃないの?
チッ まっ、しょうがねぇ。ほっとくしかねぇだろう、ねっ!どうしてもほっとけないんだったら、ちょっと旦那さんに協力してもらって・・・そんなことしか、方法はないのかな。
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梅沢富美男
1950年11月9日生まれ。福島県福島市出身。「梅沢富美男劇団」座長。大衆演劇隆盛期に活躍した花形役者の父・梅沢清と娘歌舞伎出身の母・竹沢龍千代の5男(8人兄弟の5男)として誕生。1歳7ヶ月で初舞台を踏み、15歳から兄・武生が座長を務める「梅沢武生劇団」で本格的に舞台に立つ。その後、20代半ばで舞踊ショーの女形が話題となり、一躍大衆演劇界のスターに。2012年、兄・武生から劇団を引き継ぎ、座長に。舞台では二枚目から三枚目、艶やかな女形まで幅広い役をこなし、脚本・演出・振付も手がける。そのほか、テレビドラマや映画などにも俳優として多数出演。
梅沢富美男
「下町の玉三郎」とも呼ばれ、梅沢富美男の代名詞ともいえる女形。普段の強面からは想像もつかないほど、妖艶な美しさを 醸し出すその姿が生まれるきっかけとなったのは、富美男が役者として伸び悩んでいた26歳の頃。「お前、女形をやってみないか?」という兄・武生からの提案がきっかけであった。突然の話にさっぱり理解できなかったが、座長の命令には背くことができない。仕方なく、「女性の観察・研究」を始めた。銭湯から出てくる湯上がりの女性を観察している時に不審者と間違われて警察に連行されたのは有名な話。さらに、母・龍千代から、色香漂う舞や仕草を徹底的に叩き込まれたという。メイクによる変貌ぶりだけでなく、立ち振る舞いや所作の美しさこそが、梅沢富美男演じる女形の真髄といえる。
梅沢富美男
大衆演劇のスターとなった梅沢富美男が歌の世界に飛び込んだのは、1982年のこと。小椋佳作詞・作曲による『夢芝居』が、大ヒット。3万枚売れればヒット曲といわれた時代にあって、48万枚のセールスを記録。1983年には同曲で『第34回紅白歌合戦』に出場し、一躍歌謡界のトップスターの仲間入りを果たす。その低音ボイスは、艶やかな女形姿とは一転、男の色香を発する。2012年にリリースされたNHK東日本大震災復興応援ソング『花は咲く』(花は咲くプロジェクト)にボーカルとして参加。
梅沢富美男
近年、テレビのバラエティ番組やワイドショーのコメンテーターとしても活躍。歯に衣着せぬ毒舌トークと曲がった事を嫌う 頑固オヤジキャラクターは、すっかりお茶の間にも定着。義理人情を大事にする一本気な性格が、ときに行き過ぎてしまうこともあり、ネットで炎上することもしばしば…。
梅沢富美男
芸能人の中でも、料理の腕は折紙付き。若いころに劇団の料理番を務め、寿司屋で修行したこともある。テレビなどで料理を披露するようになり、その腕前が話題に。テレビ朝日『愛のエプロン』のグランドチャンピオン決定戦では優勝を果たす。和食から洋食、中華、イタリアンまで、あらゆる料理のレシピが頭に入っており、ある材料だけを使って手早く料理するのも大の得意。地方公演などで時間ができると、気になったお店に飛び込み、板前やシェフに食材・作り方を取材し、料理レパートリーを増やしているという。