去年の12月に、旦那が浮気していることが分かりました。
10月頃から、旦那が携帯のメールや電話の異常な行動で発覚!!見てはいけない、旦那の携帯メールを見てしまいました。
旦那は3年も前からバツイチの人と浮気をしていました。浮気がばれた時点で、家庭を取るか女を取るか聞くと、どちらとも言いませんでした。女と別れるには時間がかかると・・・浮気ではなく本気だったみたいです。
浮気が分った事で、私の体調は一気に不良となりました。体重も2週間で5キロも減り、急な腹痛で救急車に運ばれることにもなりました。が、そんな時にも、旦那は女とメールしたり。クリスマスの日、子供の空手の大会にも行かず、女に高価な指輪をプレゼントしてきっぱり別れてきたと言っていたのに、今年に入ってまだ連絡を取っていることが分りました。
私はもう我慢が出来ず、子供達を引き取って離婚する事を決意しましたが、旦那がもう一度やり直したいと言ってきたので、私は旦那に、『やり直したいのなら、私が女に電話を入れて、きっぱりと話をさせて』と、女にもう二度と連絡を取らないで欲しいと・・・きっぱりと言ったのですが、まだハッキリと言って、旦那がもうその女と会わない、連絡を取っていないって信用できないんです。
どうすれば旦那の事を信用してあげられるのかな?私も引きずるタイプの性格で・・・
<音声は返答の一部をアップしています>
う〜ん、しかし困ったなぁ〜。最近の男はどういう訳だか、「遊び」と「家庭」と混同してんだよなぁ。まっ、前にも俺がいったよねえ。
「ほんとに甲斐性のねぇ男は浮気なんかするな!」
って、
甲斐性ってのも、確かにだらしねぇってことだからね。自分で対応できねぇような男は浮気なんかする資格はねぇんだよ。
もっとガツン!とやったほうがいいよ、なっ。怖い思いしてないんだな!だから懲りねぇんだよ。
旦那が一回でも二回でも怖い思いをしたらやめるよ。そうだろ?で、旦那が、
「俺が言って別れてくるから」
って、そーんなこと言ったって絶対に信用できるもんじゃねぇよ、なあっ。旦那が高価な指輪を渡して別れてきたなんて、それもまぁ嘘っぱちだろう。よく梅沢さんの芝居にね、
「浮気の虫」
というヤツってのがあってさあ、つくしんぼうと一緒なんだよ。ほら、土手につくしんぼって生えてるだろ?あれ、こう採っちゃうんだよな、1本1本。でもまた時期が来たら根が生えて、頭持ち上げてくるってねー。
だから、スーッうーん・・・すぐには信用してあげられないと思うけどさ、旦那がほんっとーにお前さんと、もう一度やり直したいんだという意思をね、きちっとお前さんが聞いて、で、お前さんからその女に連絡するなりなんなりするなり、
「もう会わないでくれ」と。
そしたら旦那だって懲りるよ、なっ。
だから、「今度やったら別れます」って、きちっと言ったらどう?
離婚ってね、大変だぞぉ。梅沢さんも離婚の経験あるからな。だから分るんだけど、たいっへんだぞお。
だからお前さんがもしも、まっ、10のうち5でも4でも旦那のことまだ愛しているんだったら、もう一回、我慢してみたら・・・なっ。
はっきり言ってそれで止まねぇ男は駄目だ!
浮気してる女にも棄てられると思うよ、ああ。だから・・・きっちり・・・もう一度・・・お前さんがその女に会うなり、旦那と3人で会って、白黒つけて、一回旦那にも、おっかねぇ思いさした方がいいよ。
頑張んな、子供いるんだから。えっ?
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梅沢富美男
1950年11月9日生まれ。福島県福島市出身。「梅沢富美男劇団」座長。大衆演劇隆盛期に活躍した花形役者の父・梅沢清と娘歌舞伎出身の母・竹沢龍千代の5男(8人兄弟の5男)として誕生。1歳7ヶ月で初舞台を踏み、15歳から兄・武生が座長を務める「梅沢武生劇団」で本格的に舞台に立つ。その後、20代半ばで舞踊ショーの女形が話題となり、一躍大衆演劇界のスターに。2012年、兄・武生から劇団を引き継ぎ、座長に。舞台では二枚目から三枚目、艶やかな女形まで幅広い役をこなし、脚本・演出・振付も手がける。そのほか、テレビドラマや映画などにも俳優として多数出演。
梅沢富美男
「下町の玉三郎」とも呼ばれ、梅沢富美男の代名詞ともいえる女形。普段の強面からは想像もつかないほど、妖艶な美しさを 醸し出すその姿が生まれるきっかけとなったのは、富美男が役者として伸び悩んでいた26歳の頃。「お前、女形をやってみないか?」という兄・武生からの提案がきっかけであった。突然の話にさっぱり理解できなかったが、座長の命令には背くことができない。仕方なく、「女性の観察・研究」を始めた。銭湯から出てくる湯上がりの女性を観察している時に不審者と間違われて警察に連行されたのは有名な話。さらに、母・龍千代から、色香漂う舞や仕草を徹底的に叩き込まれたという。メイクによる変貌ぶりだけでなく、立ち振る舞いや所作の美しさこそが、梅沢富美男演じる女形の真髄といえる。
梅沢富美男
大衆演劇のスターとなった梅沢富美男が歌の世界に飛び込んだのは、1982年のこと。小椋佳作詞・作曲による『夢芝居』が、大ヒット。3万枚売れればヒット曲といわれた時代にあって、48万枚のセールスを記録。1983年には同曲で『第34回紅白歌合戦』に出場し、一躍歌謡界のトップスターの仲間入りを果たす。その低音ボイスは、艶やかな女形姿とは一転、男の色香を発する。2012年にリリースされたNHK東日本大震災復興応援ソング『花は咲く』(花は咲くプロジェクト)にボーカルとして参加。
梅沢富美男
近年、テレビのバラエティ番組やワイドショーのコメンテーターとしても活躍。歯に衣着せぬ毒舌トークと曲がった事を嫌う 頑固オヤジキャラクターは、すっかりお茶の間にも定着。義理人情を大事にする一本気な性格が、ときに行き過ぎてしまうこともあり、ネットで炎上することもしばしば…。
梅沢富美男
芸能人の中でも、料理の腕は折紙付き。若いころに劇団の料理番を務め、寿司屋で修行したこともある。テレビなどで料理を披露するようになり、その腕前が話題に。テレビ朝日『愛のエプロン』のグランドチャンピオン決定戦では優勝を果たす。和食から洋食、中華、イタリアンまで、あらゆる料理のレシピが頭に入っており、ある材料だけを使って手早く料理するのも大の得意。地方公演などで時間ができると、気になったお店に飛び込み、板前やシェフに食材・作り方を取材し、料理レパートリーを増やしているという。