初めて梅沢さんのブログ拝見できました。とてもタメになるお話で本当に惚れそうになりました。
相談長くなるので、読んで頂けるだけでも嬉しいです。
私の夫は「全日本ロードレースのライダー」でした。現役を引退したのは、経済的に子供が居て苦しいのと、父親となっての責任?みたいなもので、引退した筈でした。
でも、最近また「バイク乗りたいな」と、言っています。私は彼の事を応援してきました。そして、応援していくつもりだったのですが、本当にいいのか悩んでいます。
子供がいて、もしもの時どうするのか。サーキットでの事故は保険がきかないのにです。
そんな中で応援していく事は、母親として懸命な選択なのか・・・。
妻としては、きっと彼の夢を叶えようと務めるのですから、彼の中では「いい妻」になれるでしょう。でも、本当にこれでいいのでしょうか。
そして、もう一つ。(欲張りでごめんなさい)
彼がレーサーとしている限り、私は花嫁衣装を着れません。授かった婚で結婚した私達は、結婚式を挙げていないのです。式よりも花嫁衣装が着たい・・・。でも、これ夫に言えないんです。恥ずかしいのと(そんな着たい!ってキャラでもないので)、レーサーをしているとお金がかかるからです。年間250万くらいかかるんですよ・・・。
全部、言えたら楽なのに。
<音声は返答の一部をアップしています>
うーん。
そりゃたしかに、バイクなんか乗ってりゃあ、もちろんプロのレースだからねえ、サーキットで事故にあわないなんてこともないしね。
それから、大怪我して・・・
怪我するだけならいいけど、もしか命落すこともあるもんなぁ。
子供がいるんだしさ、うん。
お前さん、いい女だと思うよ。いい奥さんだと思う。
で、お前さんが、花嫁衣装着たいって・・・
分るなー、実はねぇ・・・
梅沢さんは結婚式したことねえんだよ・・・
うん、2回結婚したんだけどさぁ。今の奥さんとも結婚式したことねぇんだよ。
でー、うちの長女がねぇ、まだちーっちゃいときにさぁ、
「パパとママの結婚式の写真あるでしょ?」
って言われた時にね、
「いや、まいったなー!」
と思ってさ
「よしっ!」
と思って女房と結婚式の写真撮ったんだ、写真館に行って・・・
で、そんときにね、子供に嘘つくの嫌だったからさぁ、子供も入れて3人で結婚式の写真撮ったんだ、うん。
だからどうだね?
お前さんと・・・
それからその旦那さんと・・・
それから子供と・・・
3人で写真館行って、写真撮ってきなよ!
お前さん好きな格好して、思い出に写真撮ってくんだよ。
それで、写真が撮り終わったら旦那もイヤな気分じゃないだろ、だから、そんときに旦那さんに話するんだよ。
「プロのレーサーとして、バイクに乗るんじゃなくて、趣味で乗ってくれ」って。
話をすりゃあ、分らねえ旦那でもないと思うよ。だってさぁ、元プロのレーサーでバリバリやってたけど、お前さんに子供が出来たってことでやめたんだもん1回は。理解のある旦那だと思うよ、うん。
話し合いをしなきゃ駄目!
いきなり
「レーサーやめてくれ!」
「バイクに乗るな!」
って言ったら、はねるからねっ。
だから、どうだろうか・・・きっかけができたんだから、
「お互いに、子供のために結婚式の写真撮ろう」って、それで、旦那もいい気分になったときに、
「プロとしてのレーサーはやめてくれ」と。
で、「アマチュアで、趣味としてバイクに乗ってくれ」って言ったら、旦那分ってくれるよ、うん。
夫婦なんてのはね、話し合いをしなきゃ駄目。
旦那がバイクに乗ってる時に横でイヤな顔してんだったら、そんなこたぁよくないよ。
やっぱり、しっかり話し合いをしてそれで旦那に分ってもらう、ねえ。
そりゃたしかに、経済的にも大変なんだから旦那だって分ってくれるよ。
「子は三界の首かせ」
っていう芝居のセリフもあんだけどさ、そりゃこどもってなぁ、
「子供がいるから何にもできねぇんだよ」って、そりゃ当たり前だよ!
子供作ったんだから、ねえ?その子供のためにも頑張ってくんだよ、親ってのは。でもねぇ。「子は鎹」つってさぁ、子供に救われることはたーっくさんあるからね。
「だから、子供のためにそうしてくれないか?」って話をしたら、きっと分ってくれるよ、うん、
頑張りな!
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梅沢富美男
1950年11月9日生まれ。福島県福島市出身。「梅沢富美男劇団」座長。大衆演劇隆盛期に活躍した花形役者の父・梅沢清と娘歌舞伎出身の母・竹沢龍千代の5男(8人兄弟の5男)として誕生。1歳7ヶ月で初舞台を踏み、15歳から兄・武生が座長を務める「梅沢武生劇団」で本格的に舞台に立つ。その後、20代半ばで舞踊ショーの女形が話題となり、一躍大衆演劇界のスターに。2012年、兄・武生から劇団を引き継ぎ、座長に。舞台では二枚目から三枚目、艶やかな女形まで幅広い役をこなし、脚本・演出・振付も手がける。そのほか、テレビドラマや映画などにも俳優として多数出演。
梅沢富美男
「下町の玉三郎」とも呼ばれ、梅沢富美男の代名詞ともいえる女形。普段の強面からは想像もつかないほど、妖艶な美しさを 醸し出すその姿が生まれるきっかけとなったのは、富美男が役者として伸び悩んでいた26歳の頃。「お前、女形をやってみないか?」という兄・武生からの提案がきっかけであった。突然の話にさっぱり理解できなかったが、座長の命令には背くことができない。仕方なく、「女性の観察・研究」を始めた。銭湯から出てくる湯上がりの女性を観察している時に不審者と間違われて警察に連行されたのは有名な話。さらに、母・龍千代から、色香漂う舞や仕草を徹底的に叩き込まれたという。メイクによる変貌ぶりだけでなく、立ち振る舞いや所作の美しさこそが、梅沢富美男演じる女形の真髄といえる。
梅沢富美男
大衆演劇のスターとなった梅沢富美男が歌の世界に飛び込んだのは、1982年のこと。小椋佳作詞・作曲による『夢芝居』が、大ヒット。3万枚売れればヒット曲といわれた時代にあって、48万枚のセールスを記録。1983年には同曲で『第34回紅白歌合戦』に出場し、一躍歌謡界のトップスターの仲間入りを果たす。その低音ボイスは、艶やかな女形姿とは一転、男の色香を発する。2012年にリリースされたNHK東日本大震災復興応援ソング『花は咲く』(花は咲くプロジェクト)にボーカルとして参加。
梅沢富美男
近年、テレビのバラエティ番組やワイドショーのコメンテーターとしても活躍。歯に衣着せぬ毒舌トークと曲がった事を嫌う 頑固オヤジキャラクターは、すっかりお茶の間にも定着。義理人情を大事にする一本気な性格が、ときに行き過ぎてしまうこともあり、ネットで炎上することもしばしば…。
梅沢富美男
芸能人の中でも、料理の腕は折紙付き。若いころに劇団の料理番を務め、寿司屋で修行したこともある。テレビなどで料理を披露するようになり、その腕前が話題に。テレビ朝日『愛のエプロン』のグランドチャンピオン決定戦では優勝を果たす。和食から洋食、中華、イタリアンまで、あらゆる料理のレシピが頭に入っており、ある材料だけを使って手早く料理するのも大の得意。地方公演などで時間ができると、気になったお店に飛び込み、板前やシェフに食材・作り方を取材し、料理レパートリーを増やしているという。