今、フリーターをしています。27歳です。
親には就職をしろとしつこく言われてますが、
就職をしてしまうと、会社や上司の下で、
小間使いのように働くようで、どうしても踏み出せません。
若いうちはよかったのですが、
バイト先も若い子ばかりになってきて、
だんだん居づらい状況にはなっています。
家も、仕事場も居場所がなくなってきて、
いよいよ就職をしなくちゃいけないのか、
追い詰められています。
たぶん、自分のようなタイプは、就職を避けるためには、
自分で会社を立ち上げるのも手だと思い、
計画はたてているのですが、お金がないので、
何もできず困っています。
周りは自分をだらしないと言いますが、
自分なりに色々考えているわけで、
就職がすべてではないと思うのです。
人間生まれて、学校行って、就職して、結婚して、子供産んで。
それからそれた人間はおかしいような、
そんな世の中の風潮の方がおかしいと思います。
といいながら、ここに相談してるくらいだから、
今の自分にも満足してないわけで・・・
一喝お願いします。
おめぇ、
自分で言ってること、よく分かってる?
ン?
なんか、
「一喝してほしい」
なんて言ってっけど。なぁ?えっ?
『働く』ってなぁね、もうこの話、
何回も何人にも俺相談されたよ、相談受けたよ。
働くってなぁ自分のために働いてんだぞ、お前。
えっ?人の為に働いてるわけじゃねぇぞ。
フリーターだってそうだろ?
お前、金貰うからフリーターやるんだろ。
自分のためにやってんじゃねぇか、お前。
勘違いするなよ。えっ?
結婚して、子供が学校行って、
就職して結婚して子供生んで。
あのなっ、どこにそんな風習なんて言葉を使うんだよ。
そりゃ人間だから当然だろう。ン?
働かねぇ人間なんて世の中にいねぇよ。
第一、お前達の
「フリーターをしてます。」
何もしないで、ブラブラしている風習がおかしいつってんだ、俺は!
そうだろ?
自分でおかしいと思わねぇか?えっ?
誰がお前、救ってくれんだよ?
誰がお前さんに愛を差し伸べてくれるんだよ?
誰もしてくれねぇよ!
自分で生きていかなきゃ。えっ?
オヤジがいなくなったらどうすんだ、お前。
そうだろう?そりゃ子供のうちなら話は分かるけど。
お前、27にもなって
そんな馬鹿なこと言ってんじゃないよ。えっ?
腹が立つよ、そんな話!
あのなぁ、言っとくけど、
みんな辛い思いして働いてんだ。シッ。
気持ちよくて
楽で
金が儲かって
そんな仕事があるんだったら俺にも紹介してもらいてぇや。ン?
みっけてこいよ。俺もそこ行くから。
27にもなって馬鹿なことを言ってんじゃないよ。うん。
これからお前さん、30超えたら
人にも意見しなきゃならねぇだろう。できるか?
フリーターだって働いてんだろ、お前?
何言ってんだデカイ顔して働いてんのか、
フリーターしながら?ふざけたこと言ってんじゃないよ。
頑張れよ、お前、27にもなって。
これから、まだまだやりなおしきくんだから。
ちゃんと、おとっつぁん、おかっつぁんに
親孝行してやれっ。
お前、デカくしてもらったんだろ?
恩返しろ、恩返し!
ただで飯喰わしてもらって、
ただで学校行かせてもらって、えっ?
今でもお前、家にいるんだろ?
何かして、親孝行してやれぇ。
男だろう?
しっかりしろよっ!!
ほんっとに!
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梅沢富美男
1950年11月9日生まれ。福島県福島市出身。「梅沢富美男劇団」座長。大衆演劇隆盛期に活躍した花形役者の父・梅沢清と娘歌舞伎出身の母・竹沢龍千代の5男(8人兄弟の5男)として誕生。1歳7ヶ月で初舞台を踏み、15歳から兄・武生が座長を務める「梅沢武生劇団」で本格的に舞台に立つ。その後、20代半ばで舞踊ショーの女形が話題となり、一躍大衆演劇界のスターに。2012年、兄・武生から劇団を引き継ぎ、座長に。舞台では二枚目から三枚目、艶やかな女形まで幅広い役をこなし、脚本・演出・振付も手がける。そのほか、テレビドラマや映画などにも俳優として多数出演。
梅沢富美男
「下町の玉三郎」とも呼ばれ、梅沢富美男の代名詞ともいえる女形。普段の強面からは想像もつかないほど、妖艶な美しさを 醸し出すその姿が生まれるきっかけとなったのは、富美男が役者として伸び悩んでいた26歳の頃。「お前、女形をやってみないか?」という兄・武生からの提案がきっかけであった。突然の話にさっぱり理解できなかったが、座長の命令には背くことができない。仕方なく、「女性の観察・研究」を始めた。銭湯から出てくる湯上がりの女性を観察している時に不審者と間違われて警察に連行されたのは有名な話。さらに、母・龍千代から、色香漂う舞や仕草を徹底的に叩き込まれたという。メイクによる変貌ぶりだけでなく、立ち振る舞いや所作の美しさこそが、梅沢富美男演じる女形の真髄といえる。
梅沢富美男
大衆演劇のスターとなった梅沢富美男が歌の世界に飛び込んだのは、1982年のこと。小椋佳作詞・作曲による『夢芝居』が、大ヒット。3万枚売れればヒット曲といわれた時代にあって、48万枚のセールスを記録。1983年には同曲で『第34回紅白歌合戦』に出場し、一躍歌謡界のトップスターの仲間入りを果たす。その低音ボイスは、艶やかな女形姿とは一転、男の色香を発する。2012年にリリースされたNHK東日本大震災復興応援ソング『花は咲く』(花は咲くプロジェクト)にボーカルとして参加。
梅沢富美男
近年、テレビのバラエティ番組やワイドショーのコメンテーターとしても活躍。歯に衣着せぬ毒舌トークと曲がった事を嫌う 頑固オヤジキャラクターは、すっかりお茶の間にも定着。義理人情を大事にする一本気な性格が、ときに行き過ぎてしまうこともあり、ネットで炎上することもしばしば…。
梅沢富美男
芸能人の中でも、料理の腕は折紙付き。若いころに劇団の料理番を務め、寿司屋で修行したこともある。テレビなどで料理を披露するようになり、その腕前が話題に。テレビ朝日『愛のエプロン』のグランドチャンピオン決定戦では優勝を果たす。和食から洋食、中華、イタリアンまで、あらゆる料理のレシピが頭に入っており、ある材料だけを使って手早く料理するのも大の得意。地方公演などで時間ができると、気になったお店に飛び込み、板前やシェフに食材・作り方を取材し、料理レパートリーを増やしているという。